Archive for the ‘引っ越し’ Category

管理会社って・・・

再就職が決まってバタバタと部屋を決めて引っ越しをしました。
最近の不動産屋は集客をホームページでしているところが多いようです。
引っ越し先を探してくれた不動産会社には結構無理な状況から物件を紹介してくれたことにも非常に感謝をしています。
ハウスクリーニングとメンテナンスも特急で行ってもらいましたし、なんとか初出社までに引っ越しの片付けもなんとか終わらせることもできました。
問題はそのあとです。
新しく部屋に取り付けるエアコンを家電量販店で購入して取り付けをお願いしていました。
取り付けの日に取り付け業者がきて作業を始めたんですが、何やら怪しげな動きが・・・。
声をかけてみたらくわしいことは分かりませんでしたが通常100ボルトの電流が来ているはずのコンセントに200ボルトの電流が流れているようだと。
取り付け前に取り付け業者の方も「先に電圧のチェックをしなかったのが悪かった。」と言っていましたがブレーカーを確認しても100ボルトの表示シールが貼られていたようでどちらにしても同じことは起きたのかもしれません。
エアコンには100ボルト仕様の物と200ボルト仕様の商品があって前の住人の方は200ボルト仕様のエアコンを使っていたようだと。
新品のエアコンですがヒューズユニットを基から取り寄せないといけないということがこちらとしては手出しがないので了解しました。
ここまでは仕方がないと思います。
しかし不動産会社に連絡したのですがこのような物件のトラブルは物件を紹介してくれた不動産会社ではなく管理の不動産会社が別にいてそちらが対応するようになっていました。
始めから「うちの責任ではない。」というような言い分でしたのでなんかムッとしました。
別に責任の所在を追求しようとしたわけでもないし。
不動産会社の言いたいことも分からないでもないけど客が困っている時はすっ飛んでくるぐらいじゃないと会社として疑われるぞ!っていう気分です。

大学時代の引っ越し

以前にも書いたことがありますが大学時代には1年ほど住んだアパートから途中で別のアパートへ変えて、引っ越しをしたことがありました。
理由としては部屋の設備に不具合が出たり隣の住人がうるさかったりと賃貸物件にはありがちな状況も重なり、付け加えて当時、今考えると不思議なんだけれど仲間内で引っ越しっするのが流行ってたりして(大学合格が決まってとりあえずボロアパートに部屋を決めたり、寮に入ったもの寮特有なルールについていけなかったり理由は様々?)ました。
簡単に引っ越しをしたと言えども当然敷金や礼金、中には退去の際の修繕費や早期退去の違約金を払った輩もいるので当然、引っ越し屋さんを使うお金がない訳です。
そこで活躍したのがサークルで共同で使っていた軽自動車バンです。
大学2年生の頃なの自分も含めてまだ自動車免許を持っている人間が少なく車を持っている人はまだいませんでした。
で免許を持ってる物が番を運転して次々と自分達で引っ越しを持ち回りで繰り返した覚えがあります。
しかし引っ越しを自分達でする時はせいぜいアパートの2階までですね。
3階になると荷物を運ぶのが大変でした。
特に学生が住める賃貸の3階建アパートだとエレベータなんてものは当然付いてなく、冷蔵庫などの大物はみんなでヒーヒー言いながら階段を登ったもんです。
自分の引っ越しは3階の部屋から1階の部屋へでしたが、登るよりもましでしたが降ろすのもそれはそれなりに大変でした。
あれはあれで懐かしい良い(?)思い出ですね。

仕事を辞めて実家に

実は子供が産まれて一歳を過ぎた頃に仕事を辞めました。
仕事の内容や、親の病気などいくつか諸事情が重なり、仕事を辞めて大分に帰ることにしました。
職場や知り合いからはよく子供がいるのに仕事を辞めれたねと散々言われたものです。
次の仕事も決めてなかったんですから。とりあえず大分の実家に引き上げることにしました。
高校までは別府の借家に住んでいたんですが、自分が高校を卒業するのを契機に両親は杵築市に注文住宅で家を建てて引っ越したのです。
田舎の山の中の土地に建てた一軒家ですが自分達3人が転がり込んでも問題ないサイズです。
家を建ててない自分が言うのもなんですが広すぎるのも問題ですね。
夏は良いとしても冬場の暖房が大変です。
自分が仕事を辞めてから数ヵ月後、派遣切りなどが始まってまともに仕事がみつからない状況が続きました。
杵築市内には派遣の人用に建てられた賃貸アパートがたくさん建っていましたが、あっという間に空き部屋だらけになってしまいました。
また建設中の一人暮らし用の賃貸アパートやオープン予定のコンビニもありましたがアパートはやはり人が入らず、コンビニも人がまばらな感じでした。
その状況は仕事が決まってない自分にとっては笑いごとにもなりませんでした。
また実家は広い家とは言えど2世帯住宅として建てたわけではないので一つの台所に女性が二人いるのはあまりよろしくないようですね。
別に母と奥さんが仲が悪いということではありません。ご心配なく。
とにかく新しい仕事を見つけなければ・・・そう思ったのでした。

そしていつかは大分で新築・・・かな?

アパートのタイプ

結婚して一人暮らし用の賃貸アパートからメゾネットタイプのアパートに引っ越しをしました。
結婚して一年後に妻がめでたく妊娠しました。
ここからが大変でした。メゾネットの2階部分にお腹が大きくなりだしたころから階段を上るのが大変になりました。
また2階部分の一室を寝室にしていたので一階のリビングで寝起きするようになりました。
こんなに早く子供ができるとは思ってもいなかったし、階段がきつくなる想定まで考えていなかったです、正直。
この状況で引っ越すわけにもいかないので更にお腹が大きくなってからは嫁さんは実家に帰って行きました。
オシャレだと思っていたけどこういう場合不便だわ、メゾネットタイプ。
子供が産まれて嫁さんともども退院して帰って来てからも大変でした。
ハイハイや伝い歩きを始めてして階段は危ないし、台所とリビングに扉がなかったのでベビー用品店でベビーガードを買いました。
計三か所分。階段の上・下と台所とリビングの間に。
もしベビーガードを買おうと思っている人がいれば、開閉タイプをお勧めします。
バータイプは股越すのが大変です、特に奥さんが。
それと不格好かもしれませんができるだけフレームが太いタイプのものをお勧めします。
子供が2歳ぐらいに成長すると平気でベビーガードにぶら下がったりするからです。
まだ取り外すわけにもいかないし。
子供ができることなど考えるとやはりメゾネットタイプはお勧めしません、ボク的には。

就職して福岡に

実は大学は5年行ってしまったのですが、なんとか卒業なんとか就職しました。
就職先は福岡は飯塚の会社でした。
卒業と就職までの時期が空いてしまったので、一度鹿児島から実家に引き上げてそれから福岡の飯塚に引っ越しをしました。
飯塚で住む部屋を決めて荷物は鹿児島から飯塚行き、自分は実家にという寸法。飯塚で借りた賃貸アパート2階建ての2階の部屋で10畳の1R+ロフト付き、風呂トイレ別の駐車場込みで家賃が4万円でした。
家賃の安さと大学の近くだったことから10部屋あるうちの7部屋は学生さんでした。
鹿児島で借りていたアパートは自動車の駐車場なしだったので自動車を持った時は別でアパートから少し離れたところに月5000円で借りていました。
それを考えると駐車場込み、しかも屋根つきだったので飯塚での賃貸アパートは破格だったと思います。
しかし破格の家賃なのそれなりに理由があるもので、アパートがある場所が坂の上だったのです。
しかも自動車の離合が困難な道幅の坂でした。
飯塚がある筑豊地区の地形は盆地になっているので夏は暑く、冬は寒いという気候で毎年どっさり積もるほどの雪が降っていました。
家賃の安さに納得したのは社会人1年目12月の中頃に初めて雪が降った時でした。
雪が降った時にはタイヤチェーンをつけていてもその坂を下りるのが大変でした。
雪が降った時に一度だけ坂の下に自動車を止めて部屋に帰った事もあります。
毎日自動車に乗るとそれまで気にしなかった道路環境を重要に感じるようになりました。

何故かの引っ越し

実は前回書いた賃貸アパートなんですが、1年ちょっとで引越しをしてしまいました。
なぜかと言うと結構不具合が次々と出てきたからです。
風呂のシャワーが壊れ、エアコンも壊れ、玄関のドアも鍵がかからなくなったり。
また隣の部屋の人が夜中にうるさかったりして。
部屋の設備の故障はその都度、大家さんに行って直して貰ったのですが、隣がうるさいのまでは言えなかった。
何か揉め事になるのも嫌だし。
ちょうど仲の良いサークルの先輩が住む大学近くのアパートに空き部屋が出てて、家賃も変わらなかったし、バイト代もある程度貯めていたので引っ越ししちゃいました。
当時は敷金だとか礼金だとか全く理解していなかったので不動産屋に言われるがまま払っちゃいました。
今、思い返せば重要事項説明書や契約書の説明もなかったような気がします。
何も分かってなさそうな大学生だから割愛されちゃったのかしら?
それと部屋の契約って2年更新のはずだったんだけど更新に行った記憶もないんです。
そんなんで良かったんでしょうか?
それとも退去の際の敷金返還時にしっかり差引かれてたんでしょうか?
そう言えば退去の時あまり掃除をしっかりしなかったな…。
今となっては真実は闇の中ですね。
引っ越した先の間取りは和室8畳で台所が3畳、風呂とトイレは別々でした。
実はエアコンは付いてませんでした。
鹿児島でエアコンなしって…と思うかもしれませんが、実はあまり夏に部屋にいなかったので結局付けずじまいでした。
夏、何してたって?
遊んでたんですよ。
そう言えば大学時代のある時期、罰ゲームで青汁飲むの流行ってたなー。
今、罰ゲームで飲むとかあまり聞かないよね。
時代を感じるわ~。

大学は鹿児島

1年間の浪人時代を経て大学に入学できたわけですが、志望校として北海道の大学に行きたかったのですが気がつけば南国・鹿児島にいました。
ま、そこそこしか勉強しなかった結果です。
鹿児島は非常に熱く、4月ぐらいからTシャツでも過ごせるぐらいでした。
すごく良いところだと思うんです。桜島の降灰と台風直撃さえなければ・・・。
そう思いながら過ごしたわけですが、借りた賃貸アパートは3階建の物件の3階の部屋でした。
間取りは6畳の和室と3畳ぐらいの台所、一体式の風呂・トイレ、エアコン付きでした。
家賃は月々4万円でした。
3階の部屋って相当大変でした。
入居する時の注意事項で自転車をアパートの前に置かないでくださいって言われたんですが、
アパートの前に停めるなと言われても他に置くところはないんです。
部屋の前まで持ってあがるしかないんかい?
自分の自転車はマウンテンバイクだったので軽い方だとは思いますが、結構急こう配の階段を3階まで担いで登ってました。
それも1カ月ももたなかったですけど。
怒られるのを覚悟してアパートの前と言うかほぼ道路に自分が置き始めたら一斉にアパートの皆さんも置き始めました。
みんな辛かったんですね。大家さん、ごめんなさい。
そのアパートは少し大学から離れていて家賃が4万円だったんだけど、大学に近いアパートは同じような間取りでも平均6万円でしたね。

北九州での浪人時代

高校を卒業してから1年間浪人生活を送りました。
浪人が決まった時点で北九州の大手予備校に行くことが確定しました。
初めは賃貸アパートを借りて、予備校に通うという話を親としていたんですが、
生活に慣れたころに勉強しなくなって遊び呆ける可能性が大と言う事で予備校の寮に放り込まれました。
それと北九州あたりは1Kや1Rでも家賃の相場が高いだろうという事もあります。
予備校の寮は8階建てのマンションのような感じだったのですが、防音性がそれほどよくなくて隣の生活音が聞こえるほどでした。
逆に考えるとこちらの生活音も筒抜けだったんですね。
予備校の寮の中は全面真っ白で病院みたいな感じでした。
その雰囲気に慣れるまで少々時間がかかりました。
部屋の内部も真っ白、間取りは4帖ぐらいの1R?きちんはなくて備え付けの冷蔵庫とエアコンがありました。
あとベットと机もありましたね。
窓には頑丈そうな格子が付いていたのが印象的でした。
まるで○○○みたい・・・。
予備校の寮っていうと共同風呂っていうイメージでしょうが。
しかしこの寮は各室、風呂・トイレ付でした。もちろん風呂とトイレは一体式のユニットでしたけどね。
家賃は3万円で朝と夜の食事つきでした。
各階廊下の隅に共同のキッチンがあって簡単な料理ぐらいは出来ました。
ま、ほとんどがカップラーメンの湯を沸かすぐらいでしたけどね。
掃除は掃除機の貸し出し制、洗濯機は屋上に10台ぐらいあって洗濯物乾燥機もありましたね。
洗濯機は使い放題でしたがさすがに洗濯物乾燥機はコイン式でした。

別府の借家

幼稚園に入る1年前の年に父の仕事の都合で大分県は別府市に移り住みました。
今考えるとすごい変な形の家だったのですが、和室が5つの5DKの借家でした。
確か家賃は3万円だとかそうとう破格の物件だったみたいです。
なぜか二つトイレがあったのですが片方はいつの間にか物置と化していました。
家の前は相当広い庭になっていて道路際に、梅の木があって毎年ちぎって梅干を作った記憶があります。
引っ越した頃は何もない庭だったのが父の趣味?で畑になっていました。
まともな賃貸物件だったら相当貸主から怒られるんじゃないかと思います。
もう時効ですね。
また別府と言えば皆さんご存知のように温泉地なのですが、町内会費300円で共同温泉入り放題でした。
引越しをした当初は家で風呂を沸かしていたみたいですがガス代もばかにならないので共同温泉にずっと行くようになりましたね。
当然と言えば当然ですか。また温泉のおかげか地熱があるみたいで雪が降っても道路は凍結したりすることが少なかったみたいです。
別府は幼少期からから高校生まで住んだ町で自分にとっては故郷みたいな感じなんですが、
ただ坂の町なんで結構不便というか年を取ってから生活するのは大変そうだなーとも思います。それも慣れなんでしょうけど。
時が流れ、社会人になって別府に行った時に住んでいた家を見に行きましたが、元々古い家だったんですが屋根に穴があいて、みるも無残な姿になっていました。
ちょっと泣けましたね。後から聞くとシロアリの巣窟になってるそうです。合掌。

日田の借家

親父の転勤で小さい頃時から引越しを数度しているらしいのですがあまりに小さすぎて全く記憶がございませんのでその辺は割愛させていただきますが、幼稚園に入る1年前、までは大分県の日田におりました。
日田の記憶もどちらかと言えばうっすらとしか覚えてないんですが近くに川の流れるボロ屋だったと思います。
家自体は一軒家で部屋が二つで台所は土間にあった・・・そうです。
今で言うと2Kになるんですかね。
ボロ屋なだけに冬は風が吹き込んでかなり寒かったと姉が言ってました。
姉は自分より4歳年上なので日田の記憶はしっかりと残っているようです。ちなみに日田は大分県でも内陸部の方に位置し、盆地状の地形のため夏は暑く、冬はめちゃくちゃ雪が降る気候です。
お風呂も付いていなくて外にほったて小屋があって、その中に五右衛門風呂があった・・・そうです。
五右衛門風呂って若い方にはわかるのでしょうか?
最近のバラエティー番組とかで見かけることがあると思いますがテレビで見かけるのはドラム缶を利用した五右衛門風呂ですが、もっとしっかりしたものだった・・・そうです。
要領的には下から燃料を出たくっていうやつですね。

「・・・そうです。」っていう表記は自分はあまり覚えてなくてほぼ刷り込みの記憶ってやつですね。
今でもたまに日田に家族総出で当時お世話になってた近所のばあちゃんの所へ遊びに行きますが、昔住んでた家があった場所は今では更地になってます。